袴田さんら元被告側は高裁決定を不服として最高裁まで争う姿勢とのことです。
この後に最高裁での決定が確定した場合、また袴田さんは収監されることになります。
とても長い期間に渡る事件として有名な袴田事件。
その渦中にいる人物、袴田巌さんとそのご家族について紹介です。
袴田巌さんのプロフィール
生年月日:1936年3月10日(87歳)
出身地:静岡県浜名郡雄踏町(現浜松市西区)
身長/体重:ーcm/ーkg
血液型:B型
階級:フェザー級
グーグルマップで表示された雄踏町の地図になります。
浜名湖の東側で海に近い場所のようです。
袴田元被告の姉や息子の顔画像は?
【袴田事件 再審認める】
袴田巌さんの姉・ひで子さんの
喜びの声です。https://t.co/p6KXJJGli5 pic.twitter.com/jFjMyynrqb— NHK静岡放送局 (@nhk_shizuoka_) March 13, 2023
こちらのツイートにあるのが袴田さんの姉・ひで子さんになります。
ひで子さんは、離れていてもずっと無実を信じ続けて袴田さんを支えています。
袴田さんに息子さんはいるのか?
と思って調べて見たところ、ご結婚はされていない様子でした。
袴田事件の内容
袴田事件の経緯について記載してみました。
1966年6月
「有限会社王こがね味噌橋本藤作商店」の専務宅が放火される。
専務の自宅の焼け跡より、
- 専務
- 専務の妻
- 次女
- 長男
の計4人の他殺死体が発見される。
1966年7月
元プロボクサーの袴田巌さんの部屋より血痕の付着したパジャマが押収される。
1966年8月
18日、静岡県警察が袴田さんを強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕する。
8月19日〜9月6日までに合計63回、のべ219時間54分間の取り調べが行われる。
勾留期限3日前に自白。
1966年9月
9日、静岡地検が袴田さんを起訴。
1966年11月
第一回の公判にて袴田さんは起訴事実を全面否認。
1967年8月
味噌の工場内のタンクより血染めの「5点の衣類」が発見される。
1968年9月
静岡地裁より死刑判決となる。
1980年12月
最高裁にて死刑が確定となる。
1981年4月
弁護側が再審請求。
1994年8月
静岡地裁が再審請求棄却(決定書日付は8月8日)。
1994年8月
弁護側が即時抗告。
2004年8月
東京高裁が即時抗告棄却(決定書日付は8月26日)。
2004年9月
弁護側が最高裁に特別抗告。
2008年3月
最高裁で棄却。第一次再審請求終了。
2008年4月
弁護側が静岡地裁に第二次再審請求。
2010年4月
衆参両院議員による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」設立総会を開催。
2011年8月
第二次再審請求審。
静岡地裁は事件当日に履いていたとされるズボンの他、5点の衣類の再鑑定をすることを決定。
2014年3月
27日、静岡地裁が再審開始と、死刑及び拘置の執行停止を決定した。
袴田さんは同日午後に東京拘置所から釈放された。
2014年8月
静岡地検が「存在しない」と主張し続けて来た、有罪の証拠「5点の衣類の写真」のネガが静岡県警察で保管されていた事が判明。
2018年6月
11日午後、即時抗告審で東京高裁は、静岡地裁決定を取り消し再審請求を棄却した。
2020年12月
23日、最高裁判所は2018年の東京高裁の決定を取り消し。
審理を高裁へと差し戻すことが決まった。
2023年3月
13日、東京高裁が検察側の即時抗告を棄却。
弁護側の再審開始を認めるという判決を下す。
袴田事件の真犯人にされた袴田さん
袴田さんは2014年に48年振りに釈放となりました。
逮捕から約50年という長い歳月が経過しています。
当然、その間に世の中は大きく変わってしまいました。
逮捕当時はまだ携帯電話すらもない時代です。
袴田さんからしたら、同じ日本でも浦島太郎のような気分だったと思われます。
釈放されたのが78歳の時なので、逮捕以前の知り合いが大勢亡くなられていても
全然不思議な話ではありません。
釈放されたとしても袴田さんの悔しさは筆舌に尽くしがたいものでしょう…。
一時は「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス認定もされていました。
ですが結局冤罪という判決が発表され、非人道的な記録のために取り消されています。
袴田事件の再審は認められず
味噌のタンクから見つかった血痕のついた5点の衣類。
そのDNA鑑定の方法に対して検察側が検証実験を行いました。
しかし、
「被告側のDNA鑑定方法では証拠の再現性が認められない」
といった旨の報告書が提出されていました。
そのために弁護側の再審開始を高裁が取り消す流れとなっています。
- 刑の執行停止
- 袴田さんの釈放
以上については取り消しにはなっていません。
今現在の段階で袴田さんが収容されることは無いようです。
確定判決によると、事件当日に犯人が来ていたとされる血痕のある衣類が証拠となっています。
そのサイズの衣類は袴田さんは着用することが難しいという話もあります。
しかしその衣類は「タンクの中」という長く特殊な環境にあった物。
ですので縮んでしまっただけということです。
難しいと思われますが、この辺りのちゃんとした検証実験もしてもらいたいところです。
袴田さんの拘禁症状をわかりやすく解説
「抗禁症状」という言葉があります。
強制的に自由を抑圧された人に起こりうる精神的なストレスから来る、人格や身体的な変化の事。
しかもそれは刑務所・精神病院のような閉鎖的な環境という特殊な条件がつきます。
うつ病の発症や、妄想に取り憑かれる、女性なら無月経になることもあるようです。
調べによると袴田さんは48年にも及ぶ拘禁生活のために精神を病んでしまいました。
そのため、自身のことを「神」や「最高権力者」と言ったりするとのことです。
この症状は拘禁されてる時から発症していたようです。
なぜ本田教授は再現性のない独自の方法で実験をして証拠として提出されたのでしょうか?
「死刑」という言葉が大きく関わる事件でこうなった理由とは…?
この袴田事件はボクシング団体から政財界にまで影響のある事件です。
袴田さんと被害者家族、警察に検察といった簡単に説明できる話ではなくなってきています。
何かしらの利権や、公にできないアブナイ話を勘ぐってしまいたくなります…。
今後もこの事件に注目していきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。