不朽の名作である「北の国から」や仁義なき戦いシリーズなどを代表作に持つ国民的な俳優として知られる、田中邦衛さん。
その存在は「芸能界のレジェンド」と呼んでも差し支えないでしょう。
そんな国民的俳優である田中邦衛さんが我々の前から姿を消して結構な月日が経っています。
2020年4月現在、田中邦衛さんはどんな生活をしているのでしょうか?
田中さんの病気ってどんな症状?
俳優としての復帰は?
といった事について調査してみました。


目次
報道では:週刊女性PRIMEの取材
2017年12月12日に発表された週刊女性PRIMEの記事では以下のように報じています。
『北の国から』(フジテレビ系)は、今でも熱狂的なファンが多い国民的ドラマだ。’02年の放送が最後になったが、今になって続編が作られる可能性がささやかれている。
「10月に週刊誌で報じられた記事がきっかけですね。田中邦衛さんが老人ホームから自宅に帰ってきたというんです。2年前に歩行困難になって、車イス生活になっていたのが徐々に回復に向かっており、“元気になっている”という奥さんの証言もありました」(スポーツ紙記者)
田中は’10年公開の映画『最後の忠臣蔵』に出演してから、俳優として表舞台に立っていない。7年間のブランクということになる。
「仕事ではありませんでしたが、’12年にも公の場に姿を見せています。『北の国から』などで共演した地井武男さんが亡くなり、お別れの会の発起人に名を連ねたんです。祭壇の前で“おいら信じられない。会いたいよ!”と語りかけました」(同・スポーツ紙記者)
’13年11月、『週刊女性』は田中が直面している厳しい状況を伝えた。長ゼリフが覚えられないことを理由に仕事のオファーを断り、「俺、もう引退したんだ」と話していたという証言があったのだ。
「’14年に高倉健さんが亡くなったとき、田中さんのコメントは寄せられませんでした。『網走番外地シリーズ』で共演した縁があるので、お元気ならば追悼の言葉を寄せたはずです」(映画ライター)
田中は『若大将シリーズ』の青大将役で脚光を浴び、『網走番外地』『仁義なき戦い』などのヤクザ映画でも活躍した。そして’81年に始まった『北の国から』で新境地を見せる。北海道・富良野で2人の子を育てる黒板五郎を演じ、厳しさと温かさの両面を持つ父親像が人々に愛された。続編を待望する声は多い。
「週刊誌の記事の後、女性誌も続けざまに田中さん復帰の可能性を報じました。より具体的に『北の国から』について書かれています。
脚本家の倉本聰さんが、最終章の構想を持っていると。もちろん、田中さんの出演が前提になりますが、本人が意欲を見せてリハビリに励んでいるということでした」(前出・スポーツ紙記者)
快方に向かっているのであれば喜ばしいが、疑問を抱く関係者もいる。
「体調はあまりよくないと聞いていますよ。認知症の症状も出ているという話です。年齢も年齢ですので、以前と同じように元気になるとは考えにくいでしょう。
本当に施設を出る場合でも、それが必ずしも回復したとは限りません。最後に住み慣れた自宅に戻りたいという人もいます。そうでなければいいのですが……」(テレビ局関係者)
〜(中略)〜
「はっきりいって、田中さんの体調は回復していません。認知症もかなり進んでいるようです。施設を出てからは家の2階にこもりきりで、外にはまったく出てこないようです。奥さんが沈んだ表情で周囲に話していたと聞きましたよ……」
『週刊女性』が夫人に話を聞いたときは、つらそうなそぶりは見せなかった。
長年、二人三脚で歩んできた夫人は田中の回復を信じて闘病生活を支え続けているのだろう。
(週刊女性PRIMEより一部抜粋)
田中邦衛の経歴
田中さんは麗澤短期大学を卒業後、
中学校の代用教員の生活を経て
3度目の受験で俳優の養成所へ入りました。
俳優になる前に学校の先生をされていた事は
かなり有名な話なんですよね。
当時の養成所の試験官からは
「あなた、またいらしたの?」とまで
言われる程に繰り返し受験したそうで、
田中さんの粘り強い俳優への思いが
実って入所する事になりました。笑
3年間の養成所生活で47人中3人という
狭き門である俳優座の座団員へ昇格。
1961年の「大学の若大将」にて、
加山雄三さんの若大将の悪友・ライバルの
青大将役として若大将シリーズの
レギュラーキャラとしての地位を確立。
知名度を大きく上げる事になりました。
1965年には毎日映画コンクールで
助演男優賞を受賞すると共に
「仁義なき戦い」シリーズで活躍、
高倉健さんの舎弟役を務めます。
ここから東映作品のバイプレイヤーとして
活躍が始まりました。
Wikipediaに記載されている情報では、
- 出演映画は149作品
- 出演ドラマは72作品
にも登るとのことです。
ちなみに田中さんの娘さんである
田中淳子さんはNHKのアナウンサーとして
活躍されています。
田中邦衛の2020年現在について
上のニュース記事では
- 施設にいた事がある
- 現在は自宅にいる
- 奥さんと療養生活を送っている
という事が書かれています。
さらに上で紹介した週刊女性PRIMEの記事には
こういった記述もありました。
「邦衛さん? けっこう前だけど老人会の集まりによく来ていただいて、カラオケを歌ったり、フラダンスをしたり、記念撮影にも応じてくれたりしてサービス精神が旺盛な方でした。『北の国から』のセリフを披露していただいたこともありましたよ。もちろん、その場は大ウケでした!」
ここ最近は、あまり姿を見かけないようで、施設に入っていたときは、週1くらいで自宅に帰ってきていたので、車イスで家に入るところをたびたび見かけましたが、そういえばこのところ、まったく見かけませんね」
「老人ホームが同じだった友達がいたのよ。彼女が“田中さんですか?”と聞いたら、“そうです”と正直に答えてくれたそうです。ただし、かなり足が悪そうだし、元気もなかったと話していました」
Wikipediaの記述では、
2019年9月現在はまた施設に入居したのではないかと近隣住民から推測されているが、夫人は『週刊現代』からの取材に断りを入れている。
(Wikipediaより引用)
とのことです。
なんだかこういった話を聞く限りでは、田中さんの様子は芳しく無さそうです。
田中邦衛は何の病気なのか?認知症なのか?
- 田中さんは熱を出して寝込んでいた
- 老人ホームにいた
という所から認知症が進んだというウワサが立っています。
ですが、そもそもの熱で寝込んだ原因については明らかにされていません。
もしかしたらただの風邪の可能性も…?
基本的に認知症というと、
- 気分が沈んでうつっぽくなる
- 家から外へ出ない
- 人の名前を思い出せない
- 迷子になる(今いる場所がわからない)
- 時間がわからない
- さっき見た、聞いたことを覚えられない
というのが認知症あるあるです。
長いセリフが覚えられないという田中さんの様子を考えるならば、
自分の身体の機能の衰えに悲観的な気持ちを持ってしまっても無理もないでしょう。
しかも田中さんは車椅子を使用していたという話もあります。
屋内を自由に動けないなら、気分が沈みがちになっても不自然ではありません。
一緒に暮らす奥さんの気持ちとしても、
「俳優・田中邦衛の衰えた姿を世間の皆さんに見せる」
ということに対する抵抗を感じているのかもしれません。
田中邦衛は俳優業を引退したのか?
大林宜彦監督作品「金田一耕助の冒険」(1979)
田中邦衛にまとわりつく記者役に梅津栄となんか見覚えある人の姿が…#秘密戦隊ゴレンジャー 二代目 #キレンジャー #だるま二郎 pic.twitter.com/GV4ciqE22u— FᵃᵗᵗʸFᵃᵗᵗʸ (@fattyfatty2001) April 12, 2020
俳優業を「引退」したとは明言していません。
ですが、外に出られない=ほぼ引退同然と考えてしまっても良さそうな感じです。
…我々としては寂しい限りですが、現実は厳しいという事でしょうか。
そもそもの話ですが、田中さんの年齢もすでに80歳を過ぎています。
以前の「北の国から」の時のようなコンディションを期待する方が厳しいのでしょうけど…。
追記:田中邦衛の訃報
テレビで再び田中さんの元気な顔を見ることなく訪れてしまいました。
田中邦衛さんが3月24日、享年88歳としてこの世を去ったという報道。
また一人、昭和の名優が去りました。
ネットでは「北の国から」「ワンピース」など田中邦衛さんの作品やモデルになったマンガの話題を挙げる方が大勢います。
やはり田中さんの与えていた影響が大きかったこと、改めて実感させられますね。
すでに年齢も年齢…とはいえ、やはり寂しくなります。
まとめ
その顔を見なくなってかなりの年月が経っている
俳優の田中邦衛さんに関する調査内容でした。
田中さんの顔を再び見る事ができる日が
いつになるかはわかりませんが、
なんとか元気な姿をまた見たいですよね。
今回は、
●報道では
●田中邦衛の2020年現在について
●田中邦衛は認知症なのか?
●田中邦衛は俳優業を引退したのか?
●まとめ
以上の内容でお送りしました。
田中さんのご冥福をお祈りいたします。


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