とうとう新しい元号が令和と発表されて
平成のラストへ向けて日本全体が
どこか盛り上がっている空気を感じます。
そして2024年上期を目処に日本の紙幣も
新しく発行されるニュースが発表されて、
また持ち上がる材料が一つ増えましたね。
その新しい紙幣の1万円札に描かれる肖像画は
「近代経済の父」とまで謳われる、
渋沢栄一氏である事も発表されました。
会社経営に関わる人でもないと、
なかなか渋沢栄一という名前を聞く機会が
無い方もいらっしゃるかと思い、
どんな人なのか?
経歴が凄いらしい?
ビジネスマンが深く頷く名言とは!?
一体どんな会社の設立に関わったのか?
記念館、史料館はどこにあるのか?
…といった事に関して調査してみました。
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目次
渋沢栄一のプロフィール
新1万円札の #渋沢栄一 さん。
「日本近代経済の父」と呼ばれる実業家ですが…
我らが #帝国劇場 (初代)の設立発起人、ですよ!
きっと新札が観劇に大活躍でしょう…
(単に金が貯まらない、だけ?) pic.twitter.com/LsCLazekmo— 150317 onedaymore (@24601_lesmis) April 8, 2019
渋沢栄一 プロフィール
生年月日:1840年3月16日〜1931年11月11日
享年:91歳
出身:武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)
職業:百姓・武士・官吏・実業家
渋沢栄一の経歴
渋沢栄一氏は染料になる藍玉や養蚕に加え、
百姓として農業などの様々な商売に携わる
商人の家に生まれました。
14歳の時には一人で藍色の染料の元を
仕入れに行くほど家業を手伝うのでした。
19歳の時がちょうど幕末の時代だったようで
尊皇攘夷派に属していました。
1867年から1年間ほどヨーロッパなどで
海外の軍備や産業などを勉強して帰国します。
1869年には大蔵省へ入省、官僚として
- 度量衡(重量・体積・質量などの単位)の制定
- 国立銀行条例の制定
- 紙幣の発行
などの事業に携わりました。
1873年に大蔵省を退官してからは、
官僚時代に設立の指導した第一国立銀行(現みずほ銀行)
の頭取として就任。
七十七銀行を始め、多くの地方銀行の設立に
尽力するのでした。
さらに銀行だけでなく、
東京海上火災保険、王子製紙、帝国ホテル、
秩父鉄道、サッポロビール、京阪電鉄
など数多くの会社を興しました。
そして当時の日米関係の悪化に対して
日本国際児童親善会を設立し、
アメリカから送られた青い目の人形に対して
市松人形を送ったり、1931年の中国の水害に
義援金を送るなどの民間外交も行いました。
1926年、1927年にノーベル平和賞の
候補にも挙がりました。
渋沢栄一の名言の数々とは!?
数多くの会社を興した渋沢栄一氏。
子孫も多く、その息子達にも経営者が多いです。
世間からは家族間で親から子会社を経営する
「財閥」という形を取らなかった事が
評価されてるんです。
その真髄を凝縮した名言を紹介いたします。
- 自分が立とうと思えば、まず人を立たせてやる。自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる。
- 人の逆境は、ほとんど自分でやったことの結果なので、とにかく反省し悪い点を改めるしかない。世の事は、自分次第の面が多く、本気でああしたいこうしたいと頑張れば、大体思い通りになる。
- 人はいかに人格が円満でも、どこかに角がなければならない。人はあまりに丸いとかえって転びやすくなる。
- 「智」が十分発達していないと、物事を見分ける力が不足する。物事の善悪、プラス面やマイナス面が見抜けない人では、どれだけ知識があっても良い事を良いと認めたり、プラスになることをプラスと見抜いて、それを選ぶ事ができない。学問が宝の持ち腐れになってしまう。
- 人間は良い習慣を身に付けなければならない。勤勉や努力の習慣が必要である。
はい、ホントにぐうの音も出ないです。笑
確かに慣れない人が商売をするとなると、
多くのお金を扱うあまり「お金に踊らされる」という
状態になりがちです。
少しくらい成功しても、後で大きな失敗が
待っているのは現代でも決して珍しくありません。
自分の欲との付き合い方が上手だった、と
言い換えても良いのかもしれませんね。
結局のところ「人格者」、今っぽく言うなら
「性格イケメン」だったという事でしょう。笑
渋沢栄一の建てた会社を紹介!
渋沢栄一氏が設立に関わった一覧を全て紹介!
…したいのですが、その数は500以上なんです。
という事で流石に全ては紹介できませんが、
有名どころをコチラで少しですが
紹介させていただきます。
- 東京慈恵会
- 日本赤十字社
- 東京経済大学
- 同志社大学
- 東京証券取引所
- キリンビール
- 東洋紡
- 東京ガス
- 太平洋セメント
- 東急電鉄
などなどこれらを始めとした
現在でも日本に多く存在する
大企業を設立した人、と言えば
日本経済の「レジェンド」である事が
カンタンにわかるかと思います!
こんな凄い人、これから先に現れるのでしょうか!?
渋沢栄一の史料館と記念館の場所はどこ?
その功績があまりにも凄いために
渋沢栄一史料館、記念館が作られています。
こちらではその場所について
紹介いたします。
渋沢史料館
〒114-0024 東京都北区西ケ原2丁目16−1
渋沢栄一記念館
〒366-0002 埼玉県深谷市下手計1204
これから訪れる方も増えるのではないでしょうか。
さらに、Wikipediaからの情報ですが
- 現在埼玉県では渋沢の功績にちなみ、健全な企業活動と社会貢献活動に取り組んでいる全国の企業経営者に「渋沢栄一賞」を授与している。
なんていうのもあるほどなんです。
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まとめ
「日本近代経済の父」と呼ばれ、
500以上の会社の設立に務めた
伝説の実業家、渋沢栄一氏についての
調査内容でした。
商売、会社経営に関する誠実さを
ウリにして上り詰めたその価値観こそ
ブラック企業のひしめく現代日本に
必要なモノなのかもしれませんね。
今回は、
●渋沢栄一のプロフィール
●渋沢栄一の経歴
●渋沢栄一の名言の数々とは!?
●渋沢栄一の建てた会社を紹介!
●渋沢栄一の史料館と記念館の場所はどこ?
●まとめ
以上の内容でお送りしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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